新企画の第一弾です。葬儀にも終活にも何かと縁のあるお寺や神社、霊園をお参りするとともに、その特徴や建物、祀られている物などを紹介していきます。また、お寺や、霊園には歴史上の人物などが葬られていることがありますので、併せてお参りしていきたいと思っています。第一弾は東京都世田谷区にある名刹、浄真寺です。
東急電鉄大井町線の九品仏で下車をして開札を出ます。九品仏駅はホームが4車両分しかないので、最後尾はドアが開かないので要注意!開札を背に左側に少し歩くと、浄真寺の参道が目に入ります。周辺の世田谷区奥沢は閑静な住宅地が拡がっています。その住宅地の中にかなり広大な敷地を有する同寺は、古くからこの地域の檀那寺として地域の人々に親しまれてきたのだろうな、と想像できます。
浄真寺は浄土宗に属しています。3つある阿弥陀堂にそれぞれ3体、合計9体の阿弥陀如来像が安置されていることから、通称「九品仏(くほんぶつ)」と称されていて、その名称がこの辺り一体、奥沢6丁目、7丁目を示す地域名としても使用され、大井町線の駅名にもなっているというわけです。開山は江戸時代初期に珂碩(かせき)上人が4代将軍家綱から奥沢城址であったこの地を賜って創建されたとされています。松並木の参道を歩み、正面の総門をくぐり、突き当りを左折すると江戸時代後期に建立された、東京都の有形文化財に指定されている仁王門があります。
仁王門の手前、右手に何やら階段とその奥にお堂が見えます。足を運ぶと「三十三観音」とあります。見回してみると、階段の下や周囲に幾体もの観音菩薩が安置されています。階段を登った正面が観音堂。寺務所に断れば中に入れるようでしたので、早速観音堂の対面にある寺務所に行き了解を得ました。観音堂内部の撮影もOKとのこと。中に入ると一面三目八臂の「(ふくうけんさくかんぜおんぼさつ)像が鎮座しています。『心念不空の索をもってあらゆる衆生を救済する観音様』ということですので、有り難くしっかりとお参りをしました。小さな落ち着いた空間に一人ですので、誰に気兼ねすること無く、ありったけのお祈りをする一時を過ごすことができます。
さて、来た道を戻り仁王門に向かいます。仁王門は別名「紫雲楼」と呼ばれ、左右に一対の仁王像が、楼上には阿弥陀如来像と二十五菩薩像のほか風神、雷神像が安置されています。二十五菩薩は、浄土信仰においては、人の臨終の際に阿弥陀如来とともに極楽浄土へのお迎いに来る菩薩の集団だそうです。残念ながら、楼上の像を拝顔することはできませんでした。
仁王門をくぐると左手には、暮には除夜の鐘の参拝者で賑わう鐘楼が、右手には本堂が見えてきます。そしてさらに真っ直ぐ進むと、本堂に相対する形で、中央に上品堂、左手に下品堂、右手に中品堂、の3つの阿弥陀堂が建っています。浄土宗は、その経典の中の「観無量寿経」において、浄土に行く者には9つの階位があると説いています。それが、上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(下品)の3つで、さらにそれぞれが上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)の3つに分かれて9つの階位になります。3つの阿弥陀堂にはそれぞれの階位を体現する阿弥陀如来像が安置されています。ちなみに下品下生は悪行を重ねたが教えにより悟りを開き往生した人、上品上生は仏の修行を成し得た人、つまり仏門に帰依し大乗経典を暗唱(「読誦(どくじゅ)」といいます)できる人です。上品はないなぁと思いながら、3つの阿弥陀堂全てにお参りをしました。
浄真寺の裏手にはかなり広い墓所があります。墓所なので当然のことですが檀家および墓参の人以外の入場を禁ずる、という注意書きが掲げられています。この墓所には、第1回芥川賞の受賞作家である石川達三のお墓、山本五十六の2つ前の聯合艦隊司令長官である永野修身のお墓、そして東急グループの創出者である五島家の墓所があります。墓所に入ってすぐ右手に手桶所があるので、そこで手桶を借り水を汲み、石川達三、永野修身、五島家のお墓にお参りをしてきました。まだ、遺族が存在するお墓ですから写真を撮影するという不謹慎なことはできません。皆さんも、著名人のお墓にお参りをするときは、十分に配慮してください。
本堂脇には、東京都の天然記念物に指定されている「九品仏のイチョウ」が立派な姿で立っています。訪れたのがまだ紅葉に早い時期だったのが残念でしたが、紅葉最盛期には絶景を楽しむことができそうです。