2016年に亡くなった方の海外編をお届けします。選定基準に筆者の知識、興味の偏りがあることをご容赦ください。日本もですが、このように整理してみると「えっ知らなかった」そんな訃報を目にすることが多いです。国内編よりも簡略ですが、お悔やみの場とさせていただきます。
目次
デヴィッド・ボウイ ミュージシャン
享年69歳(2016年1月10日逝去)
イギリス生まれのロックシンガー。グラムロックの代表格として世界の音楽シーンに登場し、その前衛的な創作技術は死ぬまで色褪せることはありませんでした。数多くのミュージシャンに影響を与えています。
俳優としても活躍をし、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」は日本でも多くの人がその存在を知ることになった作品といえるでしょう。個人的には「ラビリンス/魔王の迷宮」のゴブリン王が好きでした。
親日家としても有名です。
グレン・フライ ミュージシャン
享年67歳(2016年1月18日逝去)
アメリカのロックバンド「イーグルス」のリーダーです。ドン・ヘンリーとともにイーグルスを結成し、1976年のアルバム「ホテル・カリフォルニア」は世界中で大ヒットを記録しました。1980年のイーグルス解散後のソロ活動でも成功を収め、グラミー賞をイーグルス、ソロ合わせて6回受賞しています。
モーリス・ホワイト ミュージシャン
享年74歳(2016年2月3日逝去)
アメリカを代表するR&Bのバンド「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」のリーダーです。「宇宙のファンタジー」「レッツ・グルーブ」などが代表曲として知られ、レッツ・グルーブは80年代の日本のディスコで大人気の楽曲でした。
バンド以外のソロ活動や音楽プロデュース活動も行っています。
今でもときどき「宇宙のファンタジー」は口ずさみます。名曲ですね。
ジョージ・ケネディ
俳優 享年91歳(2016年2月28日逝去)
渋い俳優でした。代表作はアカデミー助演男優賞を受賞した「暴力脱獄」になるのでしょうか。主役ではなく名脇役として作品をしめる役割を担っていた人でした。日本映画「人間の証明」「復活の日」にも出演しています。
個人的にはシャレードの悪役が印象的でした。
キース・エマーソン ミュージシャン
享年71歳(2016年3月10日逝去)
イギリス出身で、プログレッシブ・ロックの雄「エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)」のキーボードプレイヤーです。シンセサイザーを音楽に取り入れ、世界中に広めた功績でも知られています。
晩年は日本人ガールフレンドとサンタモニカに住んでいたらしいです。
ヨハン・クライフ
元サッカー選手・監督 享年68歳(2016年3月24日逝去)
サッカーファンなら知らぬ人はいない、現代サッカーの礎となるトータルサッカーを1960年代後半から1970年代に展開したオランダサッカーのエース「空飛ぶオランダ人」です。
オランダ代表としてW杯をとることはできませんでしたが、クラブチームでは数々のタイトルを獲得。ペレ、ベッケンバウアー、マナドーナとともに20世紀を代表するサッカー選手と称されています。
監督としてもスペインのバルセロナを1988年から1996年率いて、リーガ・エスパニョーラ4連覇、UEFAチャンピオンズカップ優勝などを成し遂げています。
プリンス
ミュージシャン 享年57歳(2016年4月21日逝去)
アメリカのミュージシャン。アフリカ系アメリカ人ですが、ソウル、R&Bではなくロックミュージシャンとして1978年のデビュー以来世界中を席巻し続けました。アルバム・シングルの総売り上げは1億2,000万枚以上とされ、多くのミュージシャンにも影響を与えたカリスマでした。アフリカ系アメリカ人ミュージシャンとしての影響度はマイケル・ジャクソンと双璧といえるでしょう。
死因は、体調悪化(インフルエンザといわれています)した際の鎮痛剤の過剰投与だったようです。残念すぎますね。
モハメド・アリ
元プロボクサー 享年74歳(2016年6月3日逝去)
ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンです。活躍時期は1960年代から1970年代に長きにわたり、ジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマンなどとヘビー級のタイトルを争いました。プロ通算戦績は56勝(37KO)5敗。1974年の32歳のときに、25歳と若いチャンピオンジョージ・フォアマンから下馬評を覆しWBC、WBA統一タイトルを奪取したときは「キンシャサの奇跡」と言われています。
日本ではアントニオ猪木との異種格闘技戦が有名ですね。あれは酷かったから多くの人が覚えているでしょう。
イスラム教の信者であり、プロ転向後に元の名前カシアス・クレイからモハメド・アリに改名したことも有名です。
マイケル・チミノ
映画監督 享年77歳(2016年7月2日逝去)
佳作な監督でした。デビューはクリント・イーストウッド主演の「サンダー・ボルト」。2作目の「ディア・ハンター」で1978年にアカデミー監督賞を受賞して、トップ監督の仲間入りをしましたが、その後1980年公開の「天国の門」は膨大な制作費をかけたにもかかわらず興行成績が全くふるわずに莫大な赤字を計上してしまいました。その影響でしょうか、亡くなるまでの作品数は僅か5作品程度です。それもほとんど注目されていません。
ディア・ハンターが名作だっただけに、惜しまれます。もっと多くの作品を観てみたい監督でした。
ベラ・チャフラフスカ
元体操選手 享年74歳(2016年8月30日逝去)
1964年東京オリンピックで、チェコ・スロバキアの女子体操選手として「オリンピックの名花」と讃えられた選手です。オリンピックでは東京、メキシコの2大会に参加して、金メダル7個、銀メダル4個を獲得しています。女子体操は1976年モントリールオリンピックにおけるナディア・コマネチの登場前後から、小柄な選手によるアクロバティックな演技が主流になりましたが、チャフラフスカは優雅で美しい女性らしさを存分に魅せてくれる体操選手でした。
アーノルド・パーマー
プロゴルファー 享年87歳(2016年9月25日逝去)
1960年代70年代に、ジャックニクラウスと並ぶNo1ゴルファーでした。マスターズ4回、全米1回、全英2回、メジャー選手権7回の優勝記録を持っています。PGAツアー62勝は歴代5位の記録です。1974年世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。
ラーマ9世
タイ国王 享年88歳(2016年10月13日逝去)
タイ国民から愛された、プミポン国王です。軍を巻き込んだ政争が激しいタイにあって、常に国民に寄り添い国が安定するよう努めたことで知られています。崩御(亡くなった)された後はタイ国民が喪を表明して黒い服を着用。日本のニュースでも悲しみで泣き崩れるタイの人々が映し出されました、
日本の皇室とも交流が深かったことも知られています。
フィデル・カストロ
キューバの政治家 享年90歳(2016年11月25日逝去)
キューバ革命の指導者です。最高指導者として、1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会第一書記を、1976年より2008年まで国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)を務めました。
キューバとソ連が接近したことで起きた1962年のキューバ危機の当事者ですね。
亡くなる直前の9月22日に安倍晋三首相と会談をしています。
12月4日に国葬が行われました。遺言にしたがってキューバ国内ではフィデル・カストロの銅像や肖像画を公共の場に飾るのを禁止しているそうです。
グレッグ・レイク
ミュージシャン 享年69歳(2016年12月7日逝去)
3月10日に逝去したキース・エマーソン、カール・パーマーとともに、「エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)」を構成したベーシストです。ELP結成前には、キング・クリムゾンに参加。名作「キリムゾンキングの宮殿」のベースとボーカルも担当しています。ELP解散後も、ソロ活動やエイジアに一時加入するなど、トップベーシストとして君臨していました。
これで、ELPはカール・パーマーを一人残すだけになってしまいました。
ジョージ・マイケル
ミュージシャン 享年53歳(2016年12月25日逝去)
1984年リリースした「ラストクリスマス」の大ヒットで有名なワムのボーカルです。1986年からソロ活動を開始し、1987年にリリースした1stアルバム 「フェイス」は世界的な大ヒットとなりました。1988年、1991年の2回来日公演をしています。
プリンスもそうですが、ジョージ・マイケルはあまりに若すぎますね。
ご紹介できなかった多くの方がいらっしゃることを、謹んでお詫びします。その方々を含めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。