「厄」には苦しみ、災難の意味があります。厄は日々の生活で少しずつ溜まっていくもの、という考え方があります。その考え方を採ると「厄年」とは蓄積された「厄」が飽和状態となり人に厄災をもたらしやすくなる節目の年齢のことなのかもしれません。厄年は源氏物語で光源氏が紫の上に語ったように、その1年を『ほかの年よりも気をつけて暮らす』ことが肝要ですが、「厄」そのものを祓ってしまうというより能動的なアクションが「厄払い」または「厄除け」と言われる祈願祈祷です。今回は、厄を祓うことについて調べてみましょう。
厄年はいつからいつまで
厄年は地方より若干異なりますが、一般的には男性が数え年の25歳、42歳、61歳、女性が数え年の19歳、33歳、37歳とされています。数え年なので、元旦には該当する厄年がスタートすることになるので1月1日から大晦日の12月31日までが厄年ということになります。
お祓いを受ける時期は
元旦から始まってしまうのですから初詣に併せてお祓いを受けるのが無難な気もしますが、初詣は混雑しているので少し避けたいですね。お祓いを受ければ良いとされている時期にはいくつかの考え方があります。1つには年の節目を旧暦で考えて旧正月(2021年は2月12日)に行う、あるいは雑節の1つで旧暦では新年としてとらえられていた立春前の節分を正月として節分に併せて行う、また年始から節分までの間に行う、といったものです。ただし、これらの時期を過ぎてしまったからお祓いを受けても意味がないということはなく、お祓いは12月31日までの残りの日々を無事に乗り切ることが目的なので、当人が受けたくなったらいつでも良いというのが正解なのでしょう。そもそも、厄年であるかどうかに関わらず、寺院や神社は厄を祓う祈祷を受け付けていますので、時期に神経質になる必要はないと考えることができます。
神社は忌中を避ける
仏教の死生観は、人は死後に輪廻転生するというものです。また、人が生きることは苦しみであり、死によって苦しみから解放されるという考え方もあります。そのため、人の死を遠ざけるという発想はないので寺院は忌中でもお祓いを受けてくれます。しかし神道の死生観は、人の死後にその魂が家を護る神となるというもので、魂が昇華する前の死した肉体は穢れとして遠ざけます。そのために忌中(死後49日より前)はお祓いを受け付けてくれない神社が多いようです。
「厄除け」と「厄払い」の違い
厄を祓う祈祷には「厄除け」と「厄払い」と2つの言葉(単語)がありますが、この2つに違いはあるのでしょうか。調べてみると厳密には異なることのようです。それは、厄に対する次のような考え方が根底にありました。仏教は仏様の加護により自らの身を厄災から守るという考え方です。そのために厄を除ける、つまり「厄除け」となります。冒頭で記した日常的に厄が蓄積されるということを当てはめると、蓄積された厄が呼び込む厄災を退けるということになります。一方で神道は自分の中の厄を祓うという考え方のようです。つまり蓄積された厄そのものを無くすことで厄災が訪れないようにする、ということのようです。そこで神社の祈祷は「厄払い」なのだそうです。しかし、これは後付のようですね。そもそも厄年という考え方自体が宗教的なものではなく、陰陽道の影響を受けて広く民間に広まったとされる土着慣習的なものなのですから。ただしルーツこそ宗教とは無関係だったとしても、厄年を無事に過ごすために神仏に祓ってもらう行為は日本に深く根付いています。ご利益があるかどうか、それはその人のとらえかた次第だとは思いますが、厄年を迎えた方が祈願祈祷を行うことは日本文化の1つであることに間違いはないでしょう。
お祓いはどこで
厄除け大師として有名な寺院はいくつかあります。関東では密教系の真言宗寺院である西新井大師、川崎大師、観福寺大師堂が関東厄除け三大師として有名です。厄払いに関しては厄除け大師ほど有名な神社はないようですね。そもそも「厄除け」と「厄払い」どちらで祓ってもらえばよいのかと言うと、どちらでも構わないようです。それは結果として厄を避けるという目的が同じだからだそうです。古くからある家庭には、神棚と仏壇の両方備わっています。その一方で新しい家庭には、神棚も仏壇も置かれていないことが多い。仏教や神道の敬虔な信徒であれば、仏教であれば菩提寺、神社であれば氏子となっている神社で祈願祈祷するのが正しいあり方だと思いますが、信仰する宗教を持たない現代の日本人は行きやすいところで祈願祈祷してもらえば、それで良いということなんですね。
※ 画像は「川崎大師の大山門」
ちなみに、祈願祈祷は何度行っても、寺院と神社の掛け持ちも問題ないようなので、神社仏閣を訪れることが好きな人は、参拝を兼ねて有名所を廻ってみても良いかもしれませんね。