2019年も残り僅かとなりました。今年も多くの著名人が惜しまれてこの世を去りました。その中の何人かを、略歴とともにご紹介し、お悔やみの場とさせていただきます。選定基準に筆者の知識、興味の偏りがあることをご容赦ください。
2019年1月5日逝去
目次
兼高かおるさん 旅行ジャーナリスト 享年90歳
1959年のTBS系で放送を開始した『兼高かおる世界の旅』は、旅番組の先駆けでした。いまでは、多くの日本人が世界各地に旅行に出かける時代ですが、放送開始当時は滅多に行くことができない海外を、ブラウン管を通して体験できる貴重な時間でした。
2019年2月8日逝去
堺屋太一さん 作家 享年83歳
通産省の官僚から作家に転じられ、忠臣蔵を描いた「峠の群像」、豊臣秀吉を描いた「秀吉夢を超えた男」などの歴史小説。また「油断!」「団塊の世代」などの経済小説を上梓されました。小渕内閣で経済企画庁長官、ほかにも内閣特別顧問など政治の世界でも活躍されています。
2019年3月17日逝去
内田裕也さん ロックミュージシャン 享年79歳
2018年9月に亡くなった妻の樹木希林さんの後を追うように亡くなりました。日劇ウエスタンカーニバルでデビューした、昭和期のロックンローラーです。1970年代からは俳優としての活動も多くなりました。戒名は「和響天裕居士」だそうです。
2019年4月17日逝去
小池一夫さん 漫画原作者 享年82歳
「子連れ狼(画: 小島剛夕)」「高校生無頼控(画: 芳谷圭児)」、「魔物語 愛しのベティ(画:叶精作)」、「傷追い人(画: 池上遼一)」などのヒット作品の原作者です。マンガというよりも劇画と言われる成人向けの雑誌に連載される作品がほとんどでした。作風はバイオレンスとセックス。10代のころは、こっそり隠れて読んだ作品がほとんどでした。
2019年5月12日逝去
京マチ子さん 女優 享年80歳
「きょうまち」の愛称で知られる、昭和期の大女優です。超美人で、大映の看板女優でした。代表作は黒澤明監督の「羅生門」、溝口健二監督の「雨月物語」、衣笠貞之助監督の「地獄門」など。出演作が海外の映画祭で賞を受賞することが多く、グランプリ女優とも呼ばれていました。
2019年6月6日逝去
田辺聖子さん 作家 享年91歳
代表作は芥川賞を受賞した「感傷旅行」、「姥ざかり」など。恋愛小説、歴史小説のほか数多くのエッセイも書かれています。どちらかというとエッセイストとして雑誌などでお見かけすることのほうが多かったかもしれません。
2019年6月26日逝去
高島忠夫さん 俳優 享年88歳
デビューは1951年の「新東宝スターレット第1期生」として。初期のゴジラにも出ていましたね。役者としてよりも、フジテレビの「ゴールデン洋画劇場」や、「クイズドレミファドン」の司会者としての印象が強いです。俳優、高嶋政宏、政伸兄弟のご尊父です。バイオリニストの高嶋ちさ子は姪ですね。
2019年7月8日逝去
竹村健一さん 政治評論家 享年89歳
「だいたいやね」の口癖で有名な、大阪生まれ京都大学出身の政治評論家でありジャーナリストです。「竹村健一の世相を切る」などの政治・経済をテーマとしてテレビ番組に数多く出演されていました。
2019年7月9日逝去
ジャニー喜多川さん ジャニーズ事務所社長 享年87歳
言わずとしれた「ジャヤニーさん」。日本における男性アイドルグループの生みの親です。葬儀は、ジャニー喜多川さんが「子どもたち」と呼ぶ、ジャニーズ事務所の所属タレント150人による「家族葬」でした。これを家族葬とみなせるかどうか置いておきます。
2019年10月6日逝去
金田正一さん 元プロ野球選手、プロ野球監督 享年86歳
現在も、そして将来にわたり決して破られることのない、通算勝利400勝をあげた大投手です。国鉄(現ヤクルト)スワローズに入団し、代エースとして活躍。その後、現在のFAと似たようなB級10年選手制度を活用して巨人入りしました。現役引退後はロッテの監督に就任。1974年にパリーグを制し、日本シリーズでは中日を破り日本一になっています。
2019年10月22日逝去
緒方貞子さん 元国連難民高等弁務官 享年92歳
戦後の日本で、最も世界で活躍をした女性です。1975年に国連が宣言した「国際婦人年」に女性民間人として初めて女性国連公使となりました。UNICEFの執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、を経て1990年から2000年まで、第8代の国連難民高等弁務官を務められました。
2019年10月24日逝去
八千草薫さん 女優 享年88歳
宝塚出身で、在団中は清純派の美人女優として知られていました。退団後は、良妻賢母の役が多く、とくに倉本聰作品への出演が多いことでも知られていました。
2019年11月29日逝去
中曽根康弘さん 第71・72・73代内閣総理大臣 享年101歳
「不沈空母」発言では物議を醸した自民党の重鎮です。田中角栄が総理大臣になったときに「三角大福中」と称された総理候補の中では、最も弱小の中曽根派を率いていて、将来的にも総理になることはないだろうと多くの人が思っていたことでしょう。しかし、最後は5人の中では最も長く総理を務め、そして最も長生きをされましたね。
ご紹介できなかった多くの方がいらっしゃることを、謹んでお詫びします。その方々を含めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。