「逆さごと」最近では知らない、聞いたことがない人も増えているでしょうね。故人に対してや、葬儀の場では、普段とは逆に行われる物事のことを指します。タイトルにある浴衣の左前などもその1つで、着物の襟を右前に重ねるのが正しい着せ方なのですが、故人に対しては左を前に重ねます。そのため、縁起が悪いと忌み嫌われていました。
逆さごとの由来
これは宗教とは全く無関係な日本民族の土着的、民俗的な慣習です。由来は次のように諸説あるようです。
・ 死後の世界は、全てが現世と反転しているから
・ 死を忌み嫌うため、日常とは逆の方法で行う
・ 死と生の世界を明確に区別するため
逆さごとの由来ではありませんが、民俗学者でもある哲学者梅原猛さんの著書に『日本人の「あの世」観』があります。その中で梅原先生は、アイヌ文化における「あの世」観と、沖縄文化における「あの世」観が似通っていることに注目しています。弥生時代以降交流がないはずの2つの地域の文化が似通っているのは、縄文時代の日本全体の「あの世」観だったのではないか、という仮説を立てられています。そして、アイヌと沖縄に共通する「あの世」観は、
「あの世は、この世と全くアベコベの世界であるが、この世とあまり変わらない。あの世には、天国と地獄、あるいは極楽と地獄の区別もなく、従って死後の審判もない。」
というものです。これが日本人の「あの世」観の原型なんでしょうか。後段はおそらく仏教が入ってきてから大きく変化したのでしょうね、しかし前段は根強く残った。だとすると、古代日本から「逆さごと」という考え方、慣わしが誕生していた、ということになりますね。死後の世界に旅立つ故人を送るために現世と逆さの見送りをする、という行為がやがて「逆さ」自体が死と結びついて忌み嫌われる、縁起が悪いと考えられるようになったのでしょう。
今も残る葬儀の場での逆さごと
伝統的な文化や慣習が、凄い勢いで失われていく現代では、逆さごとの意味も失われ慣習としての行為すら無くなっていくのかもしれません。冒頭の着物の左前をはじめ、以前は縁起が悪いといって叱られたことも、誰も気づかない、知らない、そんな時代が訪れるのかもしれません。1つの記録として、故人を見送る場で現在も残っている逆さごとをご紹介します。
逆さ水
湯灌(故人を洗い清める)をするときのぬるま湯を、水に熱湯を注いで適温にする、という通常(熱湯に水を注ぐ)とは逆の方法で行う
逆さ布団
故人に掛ける布団は、胸元側足元側の上下を逆にする
左前
故人に着せる白装束の襟は左を前にして重ねる
縦結び
紐の結び目は横にしないで、縦に垂直になるように結ぶ
逆さ着物
故人の身体に着物を被せる場合に、襟を足元側、裾を胸元側と上下を逆にする
逆さ屏風
故人の枕元に屏風を立てる場合に、屏風の上下を逆にして立てる
故人が「あの世」に旅立つという考え方をとらない浄土真宗では、当然のように逆さごともしません。浄土真宗は『逆さごとは、生から死を遠ざけるため死者を生者と切り離そうとするもの。死は悲しいことに違いないが、生から死を切り離すことなどできないことが知らされているのだから、死を嫌って、逆さごとなどする必要はない』と謳っています。実に明快な論理です。これはこれで流石浄土真宗、と思いました。