常磐線で南千住を通過するとき、車窓越しにひときわ目立つ地蔵の像を見ることができます。これは、延命寺の首切り地蔵といって、江戸時代に小塚原刑場で刑死した人たちの菩提を弔うために1741(寛保元)年に建立されたものです。
小塚原刑場では明治維新後に刑場が廃止されるまでの間、約20万人もの処刑が行われたといわれています。刑場では、吉田松陰や橋本左内など安政の大獄に連座して刑死した志士も処刑されていて、彼らの墓は常磐線を挟んで北側に位置する南千住回向院にあります。江戸時代に開山された回向院は、常磐線が敷設された際に南北に分断され、南側の実際の刑場があった場所が延命寺として独立しました。
浄土宗のお寺である延命寺は、常磐線開通後に造られたお寺で、南千住回向院同様に山門や仁王門本堂のようなお寺特有の建物はありません。ひたすら巨大なお地蔵様が安置されているのが特徴です。お寺は、南千住駅南口を出てすぐのところに位置しています。とても目立つ地蔵なので、常磐線に乗っているときに目に止まりわざわざ南千住で下車して拝みにくる人も結構いるそうです。
住職の奥さまから少しお話をうかがうことができました。元は刑死した罪人のために建立された地蔵でしたが、明治維新以降は災厄から見を守ったり、病気の治癒にご利益のある地蔵として、近隣の住人をはじめ広く信仰を集めていたのだそうです。奥さまご自身も幼い頃患った病の治癒を祈願するため、ご両親とお参りに来ていたとか。「まさか自分が、そのお寺に嫁ぐことになるとは思いませんでした」と笑っていました。
首切り地蔵を左右両脇には、小さな仏像が何体も安置されています。これらの仏像は何なのか奥さまに尋ねたところ次のようだと教えてくれました。「首切り地蔵に祈願にきた人が、その願が叶った時に、その御礼として寄進していったものです」
首切り地蔵は、ここ小塚原刑場後の地蔵以外にも全国に建立されていますが、この地蔵は最も有名な首切り地蔵の1つです。元は刑死者の慰霊だったとしても、住民から愛されていた地蔵像なんですね。表情がととも温和なのが印象的でした。