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2018年に亡くなった方々(日本編)

記事公開日:2018.12.17/最終更新日:2024.10.21

読了予測:約7分

2018年も、たくさんの著名人が惜しまれてこの世を去りました。

 

その中の何人かを、略歴と簡単なエピソードとともにご紹介し、お悔やみの場とさせていただきます。

 

選定基準に筆者の知識、興味の偏りがあることをご容赦ください。

 

星野仙一さん 元プロ野球選手・監督 享年80歳

「燃える男」「闘将」としてプロ野球界を牽引した人物でした。

 

中日ドラゴンズの投手として通算146勝、監督としては中日、阪神、楽天の4球団で通算1,181勝をあげています。

 

監督としてリーグ優勝を4回経験していますが、日本一になったのは、最後に監督を務めた楽天でした。

 

2008年北京オリンピックの野球日本代表チームの監督も務めています。

 

1974年に巨人のV10を阻止したエース番号20が今も目に浮かびます。

 

2018年1月14日逝去

 

夏木陽介さん 俳優 享年81歳

明治大学卒業後、東宝に入社し黒澤明監督の「用心棒」、岡本喜八監督の「どぶ鼠作戦」などの映画に出演。

 

東宝の先輩でもあった三船敏郎の誘いで三船プロダクションに移りテレビドラマ、「荒野の用心棒」、「Gメン’75」などの人気ドラマに出演していました。

 

自動車好きとしても有名で、高級車を所有するだけでなく、自らドライバーとしてダカール・ラリーにも出場しています。

 

2018年1月30日逝去

 

有賀さつきさん アナウンサー 享年52歳

元フジテレビアナウンサーで、同期入社の河野景子さん、八木亜希子さんとともに「花の三人娘」と呼ばれた、女子アナブームの先駆けでした。

 

元貴乃花親方と離婚された河野さんや、俳優としても活躍している八木さんと比べると、最近あまり見かけなくなってきていました。

 

すでに闘病生活に入っていたそうですが、同期の二人をはじめテレビ関係者なども、そのことを全く知らなかったそうです。

 

2018年2月21日逝去

 

大杉漣さん 俳優 享年66歳

遺作はテレビ東京のドラマ「バイプレーヤーズ」です。

 

センカンドシーズンの撮影中に急逝されました。まさにいぶし銀のバイプレーヤーでした。

 

長い下積み時代を経て、40歳のときに北野武監督作品「ソナチネ」に出演。

 

そこでの演技が評価され、その後はものすごい数の作品に出演しています。

 

映画にテレビに無くてはならない名脇役として光輝いていました。

 

2018年2月24日逝去

 

左とん平さん 俳優 享年80歳

「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などで脇を固めるコミカルな演技が人気の役者さんでした。

 

ミュージシャンとしての顔も持ち、1973年に創った『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』は、スチャダラパーがデビューアルバムでサンプリングをし、大槻ケンヂもアルバムの中でカバーしています。

 

2018年4月5日逝去

 

高畑勲さん アニメーション監督、演出家 享年82歳

知らぬ人はいない、日本アニメ界の巨匠です。

 

東映動画を経て籍を置いた日本アニメーションでは、「アルプスの少女ハイジ」「『母をたずねて三千里』などの演出を担当。

 

彼のリアリズムあふれるアニメは宮崎駿さん、富野喜幸さんなどにも大きな影響を与えたと言われています。

 

宮崎さんらと共に起ち上げたスタジジブリの中心として、「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「かぐや姫の物語」などを世に送り出しました。

 

2018年4月23日逝去

 

衣笠祥雄さん 元プロ野球選手 享年71歳

「鉄人」の愛称で多くのファンに愛された、第1期広島カープ黄金時代を支えた名選手です。

 

通算2,543安打、504本塁打の打棒は驚異そのものでした。

 

彼はそれだけでなく代名詞ともなった鉄人ぶりが球史における大きな足跡となっています。

 

2,215試合連続試合出場はいまだに日本記録(世界2位)です。

 

不思議なことに、これだけの選手が現役引退後に一度もコーチや監督などの指導者には就いていません。

 

名選手が必ずしも名指導者になるわけではありませんが、一度もないというのは解せません。

 

真実は明らかになっていませんが、どうやら人間関係が理由だったようです。

 

指導者としての衣笠祥雄を見てみたかった、それは多くのプロ野球ファンが思っていたことでしょう。

 

2018年4月27日逝去

 

朝丘雪路さん 女優 享年82歳

 

2018年8月4日逝去

 

津川雅彦さん 俳優 享年78歳

芸能界のおしどり夫婦としても有名な、朝岡さん津川さんがあいついで亡くなりました。

 

朝岡さんは、宝塚出身のお嬢様女優として活躍。

 

天然キャラクターが人気を集めバラエティーにも数多く出演しています。

 

津川さんは、デビュー当時の二枚目役から悪役をこなすようになってから存在感が増した役者さんでした。

 

「マルサの女」など伊丹十三監督作品にも数多く出演しています。

 

俳優活動の一方で、おもちゃ・絵本の販売店「グランパパ」のオーナーとして実業家の顔も持っていました。

 

朝岡さんが亡くなったときに、肺炎を患っているため酸素吸入器のチューブを鼻につけた状態で会見に臨んだ津川さんの一言「ぼくより先に逝ってくれて感謝している」が心に残っています。

 

それから僅か3カ月、まさに後を追うようにお亡くなりになりました。

 

2018年8月8日逝去

 

翁長雄志さん 政治家、沖縄県知事 享年67歳

沖縄県知事として、普天間米軍基地の辺野古への移設を食い止めるため、人生の最後を賭した政治家でした。

 

まだ、こんなにも若かったんだ、と改めて驚きを覚えています。

 

2018年8月10日逝去

 

菅井きんさん 女優 享年92歳

テレビドラマ「必殺シリーズ」で中村主水を「ムコ殿!」といびる姑役で一躍有名になった名脇役です。

 

1994年のドラマ「家なき子」での鬼婆演技も注目を集めましたね。

 

2018年8月15日

 

さくらももこさん 漫画家 享年53歳

累計販売部数3,000万部を超える漫画「ちびまる子ちゃん」の原作者であり、ミリオンセラー「もものかんづめ」などを上梓したエッセイストでもあります。

 

「ちびまる子ちゃん」は、それまでは日曜のアニメといえば「サザエさん」だった日本に吹き込まれた新たな文化となりました。

 

多方面にわたって影響を与えた、平成を代表する漫画家の一人です。

 

アニメ「ちびまる子ちゃん」がスタートしたのは平成2(1990)年。

 

平成の30年間を駆け抜けて、そして逝ってしまいました。

 

2018年9月15日逝去

 

樹木希林さん 女優 享年75歳

「寺内貫太郎一家」「ムー」「ムー一族」などで人気を集めた、脇の大女優です。

 

今年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「万引き家族」にも出演し、この作品が映画の遺作になっています。

 

ピップエレキバンやフジカラープリントのCMが懐かしく思い出されます。

 

2018年10月8日逝去

 

輪島大士さん 第54代横綱 享年70歳

幕内最高優勝14回を誇る名横綱でした。

 

学生相撲出身唯一の横綱であり、横綱昇進後も本名を四股名にしていたこれも唯一の横綱です。

 

力士時代は貴ノ花と人気を分け合い、次いで北の湖と「輪湖時代」を築きました。

 

力士引退後は、金銭トラブルで角界から追放されましたが、プロレスラーとして復活をし、レスラー引退後は天然ボケタレントとしてテレビを賑わしていました。

 

2018年11月29日

 

赤木春恵さん 女優 享年94歳

「3年B組金八先生シリーズ」「渡る世間は鬼ばかり」などお母さん役でお茶の間で親しまれた女優さんです。

 

石井ふく子プロデューサーと橋田壽賀子脚本家の、いわゆる「石井組」の代表格というべき存在で、多くの後輩役者に慕われていました。

 

ご紹介できなかった多くの方がいらっしゃることを、謹んでお詫びします。

 

その方々を含めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。